「働き方改革」-高度プロフェッショナル制度について

今(第196回)通常国会の最重要法案とされているのが「働き方改革」関連法案である。いくつもの法律を改正することで「働き方」を改革するというのが安倍政権の説明だが、終焉を迎えつつある資本主義を生きながらえさせようとする狙いが「高度プロフェッショナル制度(高プロ制度)」の導入にあらわれている。
高プロ制度に対して「定額働かせ放題である」「1,075万円以上はそのうち400万円になる」との批判がなされるのは当然だろう。しかし高プロ制度は、労働を時間からきりはなす(時間規制をなくす)点において、資本主義の原理を逸脱するものとなる。

賃金は時間に連動する

労働基準法が「賃金とは、・・・労働の対償」と定めているように、賃金を「労働の対価」とする見解がある。この見解は、ノーワーク・ノーペイ原則また賃金後払い説をとる。しかし「労働の対価」説では、ノーワークであっても賃金が支払われる年次有給休暇や、月末締め当月25日支給という賃金先払い(中間払い)の現実を説明できない。「労働の対価」説に限らず、間違った賃金説は多くある(本ブログ「労働運動・労働組合」ページ所収「労働組合の本質」第4章参照)。
私は、賃金とは労働力商品の価格であると考える。労働者が一定量の労働をすることと引き替えに使用者が一定量の賃金を支払うことの約束(労働契約)に基づいて賃金は支払われる。だから、使用者の都合で労働ができないとしても、労働者は約束された賃金を受け取ることになる。
「一定量の労働」における「量」は労働時間で計られる。なぜなら時間は万人にとって公正・公平な基準だからである。そして出来高賃金は時間賃金に還元できるから立ち入る必要はないであろう。
この「量」を労働時間ではなく、「業績」に置き換えるのがナチス労働政策であり、近年の成果主義である。安倍政権は高プロ制度を「成果型労働制」と呼んでいる。
ところが、「業績」「成果」を客観的に測定することは不可能であり、どうしても労働が終わった後の使用者による評価にゆだねられてしまう。時間賃金(能力主義賃金も含めて)が労働に入る前に決められていることに比べて、業績・成果主義賃金は労働が終わった後で決められる。商品の価格が市場に入る前に決まっていることからすれば、業績・成果主義賃金は労働力商品の価格ではない。

労働力の使用には制限がある

ところで資本主義経済にあっては、商品の価格はその生産費によって規定される。労働力商品も同じであり、その生産費は生活費と養成費の合計であり、養成費には経験も加算される。労働力商品の生産者である労働者の生活費及び養成費によって商品価格すなわち賃金が決まるのである。生活費は平均的生活水準を維持するところで決まるが、養成費はその労働力をつくるに相応しい費用で算出される。従って、賃金は生活水準を規定する地域性及び労働力養成を規定するスキルや年数によって異なる。そして賃金は時給・日給・月給あるいは年収という単位で支払われる。
次に、労働力は人間の肉体の中に存在して生理的に1日で消滅することから、労働者は翌日のために労働力を再生産することになる。労働力商品を購入した使用者は、その商品を消費する(つまり労働させる)のであるが、商品が再生産されないような消費はできない。一定労働時間が経過すると労働者は労働から引き離されるのである。労働力商品の消費には内在的制約がある。ところが一定労働時間が経過しても使用者は労働力を消費することがある。労働者は翌日のための労働力再生産が困難となる。そこで、時間外労働手当を支給することでその埋め合わせが行われるのである。
高プロは、年収1,075万円以上の労働者の賃金を労働時間に連動させないことを法律で決めるものである。他方、残業代を支払われない低賃金労働者の賃金も労働時間と連動していない。これらの労働者が受け取っているものは賃金ではない。なぜこのようなことが起きるのか。それは労働力が商品として扱われていないからである。
企業は、従業員に対して商品を大切にするように厳しく教育する。商品を傷つけると自腹で弁償させる。しかし、労働力商品についてはそうではない。時には、労働力商品使用の内在的制約を無視して、売り物にならない商品にしてしまう。労働者も労働力が商品であることに無自覚で、契約以下の金額で売ってしまうこともある。
労働力が商品であることを否定する意見は根強い。戦後の労働経済学・労働法学は労働力を商品と見なさない。また「労働は、商品でない」と謳った1944年ILOフィラデルフィア宣言のデマゴギーに惑わされる組合活動家もいる。資本は収益をあげるために労働力を商品として扱わない性向を持つものであるが、資本主義終焉期になるとむき出しの暴力で商品性を否定する。このことは、労働者を奴隷のように扱う「ブラック企業」に見られるところである。
労働力が商品であると理解しておれば、高プロを容認する対応は出てこない。労働組合・活動家はこの定理をいま一度確認することである。
また労働力という商品はレンタル商品である。レンタカーと比較すると分かりやすい(本ブログ「労働運動・労働組合」ページ所収「労働組合の本質」第2章第7節参照)

高級レンタカーは延長料金なし?

さて、高プロである。労働力商品の価格である賃金が年額1,075万円の場合は、時間無制限で消費できるという制度である。
これをレンタカー商品に置き換えると次のようになる。
国産大衆車レンタカーの料金は8時間までは8,000円で超過1時間ごとに1,250円と設定(10時間使用で10,500円)するとして、高級外車の場合は8時間までは20,000円で超過時間は無料でよいということになる(20,000円乗り放題)。
このようなレンタカーが登場しない限り、高プロ対象の労働者も生まれない。つまり、資本主義システムと高プロは相容れないのである

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