種籾決定仮説

土壌・地味ではなくタネが決定する収量

-土地に執着した人間のあやまち-

2025.10.15 山下恒生

これまで寿安さんの田や桜馬場の田において収穫してきた稲は、種籾をいずこから手に入れておりましたでしょう? 同じ田で前年収穫した種籾を使えるのはせいぜい次の年だけ。三年続けて同じ田からの種籾を使えば、弱い稲ばかりとなり、立ち枯れたり虫がついたり簡単に倒れたり、満足な収穫は得られない。それはよくご存じでしょう? 種籾を二年毎に他の集落の田より移しかえて更新し、ずっと稲作をやってきたはずです。そうして有家の十六集落は、南目のどこの村よりも収穫を上げてこられた。この種籾の移動を取り仕切ってきたのは誰でしょうか。それでも自然に種が混ざり、稲は次第に弱くなって収穫が落ちてくる。四年に一度、熊本や大村まで出向き、新たな種籾を買ってきて、有家の集落に新たな稲の種籾を導入してきなすったのも甚右衛門様ではありませんか? 寿安さんの田を始め桜馬場の田の稲も、元はといえば甚右衛門様が他所から買い入れてきなすった種籾から始まったもののはずです。甚右衛門様が、いらっしゃらなかったら、ずっと前に有家の者は飢饉に瀕していたはずです[飯嶋2008, 191頁]。

はじめに

私は、両親が亡くなり兵庫県に残された田畑があるため、2015年から大阪との二拠点生活を始め、せっかくだから10年ほど放置されていた1反半の田んぼで、無農薬無施肥自然栽培米に挑戦することにた。無農薬無施肥で始めたものだから、近所の猟師兼百姓の長老からは「そのうち親が入れた肥料分がなくなり土が痩せていくで」と言われた。そして案の定、3年目から収穫量は減っていった。それでも私が地元出身だから、長老も面と向かっては無農薬をやめろとは言わなかった。

そこで、30㎞離れた隣町で無農薬稲作をやっている知り合いが毎年取り寄せている岡山の種籾を分けてもらった。すると、2023年の収穫はV字回復した。田んぼは例年どおり肥料を施しておらず、長老も近所の農家も驚嘆した。

下図は過去10年間の米収穫量の推移である。年によって作付面積が異なるので、一反当りの収穫量を示す折れ線グラフが推移を見るのに適している。

タネのふしぎ

2023年の収穫量のV字回復は、その他の要因が同じであることから、種籾を他所から仕入れた結果であると考えられる。そこで私は、コメ収穫量は種籾によって決まる、つまり種籾決定説という仮説を立てた。まだ研究が足りないので種籾決定仮説とする。

植物にとってタネの役割の一つは子孫を増やすことにある。すべてのタネが発芽するわけではないので、タネは多くつくられる[田中2012, 46頁]。次にタネは、植物が生育地を移動するための唯一の手段としての役割を持つ。同じ場所にとどまっては、病気・害虫・養分不足あるいは種内競争により、子孫を増やすことはできないからである。自ら飛び散ったり、動物にくっついたり、食べられたりして別の場所に移動する[田中2012, 54頁]。  

子孫が競争相手にならないように、親植物が周辺の土壌に毒を放出することもある[ハンソン2017, 254頁]。人と果実やその他の作物の関係、つまり、行く先々へ果実や作物をもたらすという人の習性・・私たちはコウモリと同様に、意図せずに種子散布を行い、種子の誕生と同じくらい太古の昔から行われている植物と動物の相互作用に携わっているのである[同前, 254頁]。

というように、タネは多くつくられ、生育地を移動する習性をもっているのだから、稲の種籾も生育地を移動することになる。稲の場合は、人間が移動させる。たしかに同じ場所(水田)で翌年もタネをまく(田植え)ことになるが、慣行農業では種籾あるいは稲苗をJA等から購入していることが多く、タネにすれば生育地を移動していることになる。これに対して、自家採種の種籾は生育地を移動しない。このことが収量の多寡に影響すると考えられる。上記の収穫量推移図が示すように、自家種によると収量は逓減し、新しいタネで育苗すれば収量が増えている。

中近世ヨーロッパ農業

中近世ヨーロッパ農業において、収量は少なかった。

「播種量に比して貧弱な収穫、すなわち播種量対収量比の低さ(収量に対する播種量の比率)は、1:3ないし1:4であったが、これはライ麦や小麦のような主要穀物に関しては、中世はもちろん。16世紀や17世紀、そして18世紀においてさえ一般的であり、このこと耕地面積のかなりの部分が、翌年の種子を栽培するために確保されていなければならなかったことを意味した[バート1969, 22頁]

下表は中世ヨーロッパの播種量対収量比であるが、例えば1278年ウォートンでは小麦は1:3である[同前, 430頁]。

また、(グアノが使用される前の1833-1847調査-筆者)ラインヘッセンにおけるコムギの平均収量は、播種量の5.5倍であったとの調査結果も報告されている[リービヒ2007, 306頁]。つまり、播種量の3~5倍しか収穫できなかった。仮に3倍とすれば、租税、自家消費、次年度播種用で収穫は消えてしまう。

ヨーロッパ農業は、収量を地味、土壌の肥沃によると考え、地味の回復のために、耕作地の休耕、定期的な耕作地一部の1年間休耕、芝土の施肥を行った[同前11頁]。三圃制農業などである。

しかし、ヨーロッパ農業がタネを自家採種したことは見逃されている。広大な耕作地に播種するにあたり、他所から持ってくる、あるいは購入することは非現実的であっただろう。どうしても「耕地面積のかなりの部分が、翌年の種子を栽培するために確保」しなければならなかったであろう。したがって、タネにすれば生育地を移動できないことになった。おのずと収量は少なくなったと考えられる[①]

肥料あるいは略奪農業

穀物の収量を高めるために、ヨーロッパ農業は選んだ道は、土壌改良あるいは肥料の施肥である。

リービヒはこのことを次のようにまとめる。

「畑の収量は、2つの要因に依存し、または比例する。そのうち、土壌が主要因であるのに対して、肥料は補完要因にすぎない」[リービヒ2007, 37頁]。

「ペルーグアノおよびチリ硝石の施用導入によって、いわゆる窒素説は、独自の根拠を獲得した。グアノは、窒素の豊富さの点で他の肥料と較べものにならず、効果の速さと高さでも他に抜きんでている」[同前314頁]。

「最も安価なアンモニアは、ベルー産グアノとしてヨーロッパに輸入されていて、含量はごく高く見積もって平均6%である」[同前334頁]。

「増加する人口を養うには、外国からのアンモニア補給だけが頼りだとしたら、今後6年、9年後のイギリスやヨーロッパをどのように予想すればよいのか?」[同前335頁]。

「植物が生育不良になるのは、土壌の消耗によるのであって、土壌成分の還元と植物による収奪が平衡していなかったからである」[同前 185頁]。

「そこで、我々は、肥料をつうじて畑に補償を行なうにとどまらず、適当な肥料組成によって、可能な限り畑の養分比率に働きかけ、その比率が栽培しようとする作物に最適になるように努める」([同前 186頁]。

「土壌を大切にする作物など存在せず、土壌を豊かにする作物はありえない」[同前 258頁]。

「農業者は、農産物の形で自分の畑を売るのであり、土壌に自然に流入する大気成分、そして土壌の属性であり、かつ大気成分から植物体を形成するのに寄与した一定の土壌成分を売るのであって、土壌からは諸成分が必然的に失われる。農業者は農産物を持ち出すことによって、畑から再生産の条件を収奪している。このような経営は、略奪農業の名を冠するにふさわしい」[同前 258頁]。

すなわち物質代謝の亀裂を指摘する[同前 353頁]。

ここにおいて、リービヒは翌年に播種が行われることを無視している。すなわち「子実として持ち出される物質は補充されないから、子実形成の条件は絶えず低下していく」[同前 253頁]というが、播種量の3倍しか収穫がない時代においては3分の1の子実が翌年には播種という形で戻されているはずである。播種量は収穫量に比して逓減するのが歴史的事実だとしても、播種は必ず行われてきたのだから、物質代謝の亀裂が起きたとは言えない。

たしかに、リービヒは人間が歩んだ農業の行き詰まりを予測しているが、土壌に焦点をあて、タネの役割を見逃している。また、リービヒの「物質代謝の亀裂」の指摘に感銘を受け、資本主義的生産の持続不可能を主張したマルクス[斎藤2023,44頁]もタネの役割に言及しない[②]。タネに注目したなら、リービヒの結論は異なっていたかもしれないし、マルクスは資本主義分析に物質代謝の亀裂を入れ込むことにはならなかったかもしれない。

土壌とタネと人間の歴史

種子を研究したソーア・ハンソンは「穀物不足がローマの陥落を早めたことに異を唱える歴史学者はいない」[ハンソン 2017, 61頁]という。しかし穀物不足の原因を土壌の肥沃さの減少に求めたのが人間の歴史である。

ユヴァル・ノア・ハラリは「ナイル流域の肥沃な畑をイタリア半島に運んでくることなど、できるはずもなかった。皇帝たちは結局、ローマの都を異民族に明け渡し、政治権力の座を豊かな東部のコンスタンティノープルへと移した」[Harari, 372頁,日本語訳 下巻236頁]という。このときハラリは、「エジプトはナイルの賜物」すなわちナイル川氾濫がもたらす肥沃な土を念頭に置いたに違いない。

リービヒも以下のとおり同じ意見である。

「人民を養うのは平和ではなく、人民を滅ぼすのは戦争ではなく、どちらの状態も人口には一時的な影響を及ぼすにすぎない。人間社会を団結または離散させ、民族と国家を消滅または強化するもの、それはいつでも、そしてどんな時代にあっても、その上に人間が小屋を建てる土壌である。人間の手中にあるのは畑の肥沃さではなく、畑の持続なのである」[リービヒ2007, 61頁]。

「コンスタンティヌスは、ネズミが沈没する船を見捨てるように、破滅した土地を見捨てて、同じ破滅過程が他の国々に拡がるにまかせた」[同前 66頁]。

「ローマならびにスペインの世界帝国を終末に導いたのは、農業の軽視なく、略奪農業による畑の肥沃度の破壊であった」[同前 68頁]。

人間はローマ時代から穀物の収量は土壌の肥沃さに比例すると考えてきた。土壌が痩せてくると、そこを捨てて他所に移動する。そこが他人の土地である場合には、暴力的に手に入れる(侵略!)。そこの土地の肥沃さが失われると肥料を発見して施肥する。そして肥料の原料を手に入れるため、戦争も辞さない(侵略!)。これが人間の歴史だったと言える。

収量が減少するとき、自家採種のタネのせいだとは気づかなかった。

土壌が痩せて「不毛」の地になってしまったのなら、そこには誰も居住しないであろう。しかし西ローマには「他民族」が移り住んでいる。このとき、移住者たちが播種したのは、もともと住んでいた土地で栽培していた穀物のタネであったと思われる。つまり、移住者がタネを移動させたことで、その穀物の収量が増えたといえる[③]。中世ヨーロッパに始まった三圃制もタネの移動といえるだろう。

タネの移動・交換による農業

 穀物の収量は土壌ではなく移動するタネに依存するとなれば、タネは自家採種ではなく他所から入手する必要がある。たしかに、モンサント社をはじめとした種子会社はタネを農業者に販売しているから、それは自家採種ではない。しかし、資本主義経営をおこなう種子会社のタネが安全だとは言えない。ましてや、無農薬無施肥による自然栽培米のタネを販売する企業等は見当たらない。

大企業等が各地で採種したタネを別のところに配分することは可能かもしれないが、その農法は大規模化したものになるであろう。それはいま流行りのスマート(smart)農業だと思われるが、農薬と肥料と自動運転トラクター、ドローン、ヘリコプターなど大型農業機械を動員したものだろう。しかし、農業はそもそも土地の集約化が不可能なものである。蒸気機関の発明により動力源を水力から解放して、作業場を大工場に変えていった産業革命と異なり、農業は土地から解放されることにはならない。

また農場従事者の自主性が担保されないと生産性があがらないものである。この点は、ソ連時代のコルホーズ・ソホーズの失敗に学ぶべきである。smart農業というよるstupid農業ではないか。

となれば、この種のタネは、交換によって入手するしかない。例えば、無農薬無施肥自然栽培米をつくる農業者のネットワークの中でタネを交換させるのである。入手したタネがそれぞれの土地に適するかどうかは分からないが、タネの習性を考えるなら、収量が減少することは考えにくい。仮に減少するとしても、安全なタネを選ぶことを優先するであろう。

おわりに

わずかばかりの経験と門外漢の文献から、私は種籾決定仮説にたどり着いた。冒頭に引用した小説で甚右衛門が四年に一度遠方に種籾を仕入れに行ったこと、あるいは18世紀オランダでじゃがいもの種子が2年毎に他の地域から運ばれた[バート1969,341頁]ことの根拠は不明であるが、新しいタネが収量を増やすという経験則は共有されていたと思われる。

資本主義が終焉するといわれる今日[Wallerstein 2013, Streeck 2016]、農業の資本主義化をすすめるsmart農業には未来はないだろう。他方、人間が歩んできた農業は、土壌肥料決定説に基礎を置くことから、侵略と戦争と結びついてしまった。

種籾決定仮説は資本主義とは親和性がなく、かつ戦争とは対立する。これだけでも実践する価値があると思う。

-参考文献-

飯嶋和一2008:『出星前夜』小学館

齋藤幸平 2023:『マルクス解体 プロメテウスの夢とその先』講談社

田中 修 2012:『タネのふしぎ』ソフトバンク クリエイティブ株式会社

ハンソン, T. 2017 (2015):黒沢令子訳『種子―人類の歴史をつくった植物の華麗な戦略』白揚社

バート, S. 1969 (1962):速水融訳『西ヨーロッパ農業発達史』日本評論社

リービヒ, J. 2007(1876):吉田武彦訳『化学の農業および生理学への応用』北海道大学出版会

Harari, Y. N. 2024:Nexus: A Brief History of Information Networks from the Stone Age to AI, Random House (柴田裕之訳『NEXUS 情報の人類史 下: AI革命』河出書房新社)

Streeck, W. 2016 : How Will Capitalism End? Essays on Failing System, Verso   (村澤真保呂・信友建志訳『資本主義はどう終わるのか』河出書房新社)

Wallerstein, I. 2013:Structural Crisis, Or Why Capitalism May No Longer Find Capitalism Rewarding, Does Capitalism Have A Future? by Immanuel Wallerstein, Randall Collins, Michael Mann, Georgi Derluguian and Craig Calhoun, Oxford University Press (若森章孝・若森文子訳『資本主義に未来はあるか』唯学書房)    


[①] ヨーロッパでは他所から入手したタネで播種した実例はあるか?

[②] タネと収量の関係についての研究はあるか?

[③] 西ローマを放棄して東ローマに移住する理由は何であったか?西ローマを支配することになったゴート人たちはもともと栽培していたタネを持ち込んだのではないか?「民族大移動」の移動先で播種したタネはどこで採種されたのか(出エジプト)?

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