労働運動・労働組合
労働組合の本質(第3稿)
はじめに
労働組合のリーダーや活動家は、労働法に依拠して労働問題に対処するのが常である。労働基準法、労働契約法、労働組合法その他の労働諸法及びその解説書を学習し、あるいは裁判例や労働委員会命令例にあたる。労働経済学や哲学を勉強して労働運動に役立てることもあるが、主として労働法に依拠している。これは、現実に生起する労働問題を解決するために不可欠である。
労働組合の活動は、賃金・労働条件維持改善、福利厚生、組合員親睦交流、平和運動、地域共闘、国際連帯、政治運動、社会運動、行政闘争など多岐にわたるが、その本質的かつ決定的活動は賃金・労働条件に関するものである。なぜなら賃金・労働条件の活動は労働組合だけに認められており、それ以外の活動は労働組合でなくても行うことができるものだからである。従って、賃金・労働条件に関わる理論は労働組合にとって決定的に重要なのである。賃金・労働条件は、労働者による労務提供と使用者による賃金支払いに関係することであり、賃金・労働条件に関わる理論とは、労働者と使用者との関係を明らかにするものである。
この労働者と使用者の関係について有力な労働法理論は従属労働説である。従属労働説とは「労働の諸条件は、形式的には対等な立場にたつ労働者と使用者の自由な契約によって決定されるが、実際には、両者の支配・従属関係のゆえに、使用者によって一方的に決定される」(西谷2016、5頁)というものであり、すでに1930年代に津曲藏之丞が、資本主義的商品生産過程に派生する基礎が存在する「従属労働関係は債権関係の中に身分的従属関係を包蔵しているもの」と定義しているから(津曲1932、232頁)、もはや労働法学の定説ともいえるものである。何をもって従属しているかの定義は論者によって異なるが、労働者は使用者に従属して労働を行っているというのが従属労働説の共通理解である。
この従属労働説の背後には、労働力の商品性を否定する考えがある。1944年に「労働は、商品でない」と謳ったILOフィラデルフィア宣言は、そのような考えをうまく表現している。この宣言では、「労働は」となっており、「労働力」の商品性を否定していないということもできるが、一般には「この宣言が「労働力非商品原則」を再確認した」(片岡2001、13頁)と理解されており、労働は労働力と同義に扱われている。
このような従属労働説及び労働力非商品説という考えが、労働組合のリーダーや活動家を取り巻いているのが現状である。
ところで、従属労働説及び労働力非商品説という考えが間違っていたらどうなるであろう。労働組合及び労働運動は空回りして、労働問題の解決はおぼつかなくなり、労働者からの信頼を失うことになりかねない。
私は、労働組合専従として労働問題にかかわってきたが、かねがね従属労働説に違和感をもっていた。例えば、退職後に未払い賃金を請求する労働者が多数存在すること、個人英会話学校経営者から雇用する外国人講師の言動を恐れているとの相談を受けたときなど、労働者は使用者に従属していないことを実感するとともに、これらのことを従属労働の例外として無視することはできなかった。
また、労働法学の従属労働説および労働経済学の労働力非商品説は、ともに労働力の商品性を否定する考えであるが、そのような考えがなぜ世間に通用してきたのか不思議でならなかった。例えば、賃金引き下げを行う使用者に対して労働力という商品の売買なのだから労働者の同意が求められると指摘するにあたり、あるいは就活をする学生に対して労働力の商品価値が賃金に反映すると説明するにあたり、労働力が商品であることが実感を伴って理解されていたからである。
だから従属労働説と労働力非商品説は労働組合及び労働運動の発展を妨げているのではないかと思うようになったのである
そこで、労働者と使用者の関係は従属関係ではなく対等関係であること、労働力が商品であることを今日的に明らかにすることが、労働問題を根本のところで理解し、従って解決の道筋を見つけることにつながると考えた。労使対等関係、労働力商品性の貫徹のためには、労働組合が決定的な役割を果たすことから、労働組合の本質を明確にすることも必要と考えた。
そこで本稿は序章において、労働組合がどこにどれぐらい組織されているかの現状を知るために、労働組合組織率の推移とともに雇用形態別組織率及び企業規模別組織率を一瞥する。その結果、大企業及び官公庁における組織率が高く、中小零細企業では組織率が低いかあるいは未組織であることがわかる。なぜ企業規模によって労働組合組織率に違いが生じるのか、この原因を探るために資本主義システム及びそこにおける労働者と使用者の関係の解明へと進むことにする。
従って本稿の第1部では、労働者と使用者の関係を解明するために、労働者とは何かについて論究する。使用者との間に使用従属関係が認められる者が労働者であるという従属労働説が流布されていることから、従属労働説についての先行研究を紹介する。その上で、従属労働説と労働力非商品説は間違っており、労働力が商品であることを明らかにする。その際、労働力の商品性を否定する論者が多いことから、労働力が一般商品であることをレンタカーとの比較で証明する。労働力が一般商品であることを証明できれば、賃金・労働条件あるいは労使関係についての新しい概念(コンセプト)が生まれることになる。
続いて本稿の第2部では、賃金・労働条件の新しい概念のもとで労働組合の目的と機能は何かを追及し、労働組合の本質を明らかにする。資本主義システムのなかで登場する労働組合は、労働者を代表するものに過ぎず、労働者の労働力商品の販売と監視という本質的目的をもっていることを明らかにする。従って、労働組合の本質的目的からかけ離れた活動を期待する考えを批判するとともに、現にある労働組合がその目的に合致しているかについても検討する。
さらに、本稿の射程外にあるかもしれないが、従属労働説を否定した場合には労働法が不要になるのではないかと疑問に答えるために、労働法の再定義を補論として行う。
以上のとおり、本稿は労働法学と労働経済学の両分野にまたがるものである。だから各分野だけに限定した場合のシンプルさはないかもしれないが、ひとえに労働組合の本質を解き明かすためである。
私は、労働組合活動家を自負している。活動家にとって、理論は実践に裏打ちされていなければならず、また理論なき実践は経験主義となってしまう。日頃の実践において、従前の労働法理論及び労働経済理論が役立っていないことを実感してきたが、それにかわる理論を生み出すことは困難だと思っていた。しかしあるとき、大学非常勤講師として労使関係論を教えている若手研究者が、公正・中立の立場であるために労働組合に加入しないと言うのを聞き、そのような研究者に労使関係論を任すことはできないと思い、困難であっても実践の中から理論を考える決意をした。そして本稿の完成は10年を超えることとなった。研究室でまとめ上げられた公正・中立な労使関係論と比べて、本稿は労働組合寄りであるかもしれない。しかし、現実に生起する労働問題を理解し、解決の道筋を提起することにおいては引けを取らないと思っている。